「江島神社大鳥居と瑞心門」
鳥居下の道を左に曲がるとエスカレーター乗り場があり、
山頂まで4つのエスカレーターを乗り継いで上がることが出来ますが、
今回はすべて階段を登りました。

瑞心門から本社まで、参拝する人の人波が絶えませんでした。
今まで何回も来ていますが、こんなに混雑したのは初めてです。

「江島神社・辺津宮」
江島神社はお宮が辺津宮、中津宮、奥津宮と3ヶ所に点在しており、
それぞれに海の女神が祀られていますが、こちらが本社となります。
建永元年(1206年)三代将軍源実朝の命によって、鶴岡八幡宮の
供僧良真によって創建され、延寶3年(1675年)に再建。昭和51年
には大改修が行われました。

「江島弁財天・奉安殿」と「八坂神社」
(拝観料:奉安殿のみ大人150円)

「中津宮」前から眺めた風景
歩いてきた弁天橋・歩道や仲見世通りが見えます。ヨットハーバーは
東京オリンピック大会でヨット競技が開催された際に造られた日本で
初めての競技用ハーバーだそうで、現在は約1000隻のヨットが収容
され、セイリングを楽しむ人々で賑っているそうです。

「中津宮」
慈覚大師によって仁寿3年(853年)に創建。元禄2年(1689年)に
再建され、昭和55年に改修。その後、平成8年9月に大改造され
現在の社殿になりました。

江の島サムエル・コッキング苑 & 江の島シーキャンドル(展望灯台)
サムエル・コッキング苑は明治時代の英国人貿易商「サムエル・
コッキング」に由来した和洋折衷の植物園。四季折々様々な花や
植物が楽しめます。シーキャンドルは四季折々のテーマカラーに
沿って、年間4回ライトアップが変更されるそうです。
(入場料江の島サムエル・コッキング苑:200円 シーキャンドル:300円)

「奥津宮」と源頼朝寄進の「石鳥居」
天保12年(1841年)に焼失、翌1842年に再建されました。
現在の社殿はそのときのもの。本来は御輿(みこし)などを休息させる
御旅所(おたびしょ)として造られたものだそうです。

恋人の丘「龍恋の鐘」
江の島の弁財天と五頭龍の伝説にちなんで造られたそうです。 恋人の丘は、第二岩屋のほぼ真上に位置します。
恋人たちがかけた南京錠がフェンスにぎっしりと掛けられていました。

最期に江の島岩屋を見学しました。
岩屋は波によって浸食された洞窟で、長さ152mの第一岩屋と
112mの第二岩屋があります。以前は落石で閉鎖されていましたが、
平成8年に再整備後オープンしました。(入場料500円)

「第一岩屋」
洞内には様々な江の島の浮世絵、仏像、与謝野晶子の歌碑等が
展示されていました。途中でローソクを受け取り、さらに奥に進ん
で行くと、二手に道が分 かれ、一方の先端は富士山の風穴に
つながっていると言われている場所に、もう一方の先端は江の島
弁財天の発祥地とされている場所に着きました。
与謝野晶子・歌碑 「沖つ風 吹けばまたゝく 蝋の灯に 志づく散るなり 江の島の洞」

第二岩屋に向かう途中には明治時代の岩屋橋や岩屋の内様子が
写されたパネルが展示されていました。現在のしっかりした歩道と
比べると、安定感がなさそうで怖い感じがし、隔世の感がありました。
磯近くの海中には亀に似た亀石が見えましたが、波に削られたので
はなく、地元片瀬の石材店の方がノミをふるったようです。
洞窟の先端には手をたたくと光るリアリティのない龍神が鎮座
していました。江の島は龍神信仰の地としても栄え、北条氏の
家紋や江島神社の神紋は、龍の鱗を表しているそうです。

「稚児ヶ淵」
ここから眺める晴れた日の夕景は美しく、かながわの景勝50選に
指定されています。夫もよく釣りに来る場所で、初めてここに来た時
はまだ子供が小さかったので、片瀬海岸から船で往復しました。
帰りはここから船で帰ると楽なのですが、今日の目的は散歩なので
また急な階段を上り、参道への抜け道(近道)を通って帰りました。

マラソンの応援をしてから(10時半過ぎ)散策を始めたので、
ランチには早く、途中のお店でお饅頭やソフトクリームを食べて
空腹をしのぎました。約3時間半の散策を終え、5年半ぶりに
「とびっちょ」に行ったのですが、2時だと言うのに長蛇の列。
仕方なく近くのお店に入りました。(それでも20分待ちました)
夫がオーダーしたマグロカツ御膳も、私がオーダーした海鮮丼も
とても美味しく、ラッキーでした。海鮮丼のお刺身は新鮮で、
写真では分かりませんが2段重ねでした。
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