坂東三十三観音巡り

2013年6月10日 (月)

結願 坂東33観音札所33番・那古寺

坂東33観音巡りも33番の那古寺をもって結願となりました。

日々健康に過ごせることへの感謝として、12年前、地元神奈川の

お寺から始めましたが、この間、車や公共交通機関を使って個人で

参拝したのは神奈川県の9寺、東京都の1寺、埼玉県の4寺

でした。残り19寺は遠い所ばかりなので、夫の運転であちこち旅行

しながらのんびりと参拝できたら良いな~と思っていましたが、夫も

もうすぐ70歳。持病もあることから、長い運転は負担になると思い、

昨年からバスアーに切り替えました。バスツアーは毎月組まれ

いるので、申し込みさえれば10回で完了します。私は7回の参加

でしたが、この一年であっといに終わりました。秩父34ヶ所と

西国33ヵ所を合わせて100寺参りをされる方も多いようですが、

お礼参りの長野県善光寺と北向き観音済ませてからじっくりと考え

ようと思います。

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清水寺を11時10分に出発し、外房の海岸線を御宿、勝浦、鴨川と

ひたすら南下し、途中トイレ休憩をとり、1時40分館山市のお寿司屋

さんに着き、遅い 昼食を頂きました。舎利が大きくお蕎麦もついてい

たので満腹になりました。食事時間は50分。那古寺には2時40分頃

着きました

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千葉県館山市那古1125

補陀落山 那古寺(那古観音) 真言宗智山派

ご本尊 千手観世音菩薩

開基:行基菩薩  創立:養老元年(717年)

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那古寺は小高い山の那古山の中腹にあります。

バスを降り緩やかな参道を登って行くと、すぐに朱塗りの仁王門が

見えます。

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立派な金剛力士像が安置されていました。金箔が少し残っていました。

昔は金ぴかの金剛力士像だったのでしょうか。

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本堂(観音堂) 県指定有形文化財寺伝によると、那古寺は

養老元年(717)、行基菩薩が元正天皇の病気平癒を祈るためこの地

を訪れ、千手観世音菩薩を安置して祈願すると、天皇の病気は 平癒し、

天皇の勅により建てられたそうです。

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堂内には厨子に納められた本尊・千手観音像、お前立ちの観音像、

銅造千手観音像(国重文、鎌倉初期)、大日如来像などが安置され

ています。 堂内外陣・内陣とも見る事が出来ましたが、撮影はすべて

禁止でした。

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本堂は2008年3月改修されたそうです。

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本堂前からは館山湾が一望できます。

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多宝塔 宝暦11年(1761年)創建。県指定有形文化財。

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ご朱印とご詠歌

補陀洛は よそにはあらじ 郡古の寺 岸うつ浪を 見るにつけても

補陀洛(ふだらく)とは観音信仰の中心地で、「眺望も絶景で海に

臨んで花咲き、鳥もさえずる極楽の境地」だそうです

2013年6月 5日 (水)

坂東33観音札所32番・清水寺

6月1日坂東33観音霊場ツアーに参加し、32番の清水寺と33番の那古寺を

参拝しました。清水寺は豊かな自然が残されている田園地帯の小高い山の中

に静かに佇んでいる歴史の感じられるお寺でした。この寺は西国33ケ所の

京都清水寺、兵庫御嶽の清水寺と並ぶ清水三観音一つで、延暦年間(782

- 806年)に伝教大師(最澄)が天台の教えを東国に広めるため下向した際、

熊野権現の霊示を得て、この地に草庵を建てたのが始まりといわれています。

大師は急に勅命をうけ、堂宇建立の念願が叶わぬまま京都に帰りました。

大同2年(807)に弟子の慈覚大師が志を継ぎ、この地の楠で千手観世音菩薩

を刻んで安置したと言われていますが、この時も堂宇建立は叶いませんでした。

その後坂上田村麻呂が東征の途中で堂宇を建立し、十一面観世音を奥の院へ、

千手観世音を本堂に祀ったといわれているそうです。

相模大野(7:10集合 7:15出発)→国道16線→首都高速湾岸線→千葉東金道路→東金九十九里

道路→九十九里道路→国道128号線を経ていずみ市・清水寺(10:22~11:10)→国道128号線を

ひたすら南下して館山市へ→食事(1:40~2:30)→那古寺(2:40~3:40)→富津館山道路→東京湾

アクアライン→首都高速湾岸線→国道16線→相模大野着6:32

千葉県いすみ市岬町鴨根1270 

音羽山 清水寺(清水観音) 天台宗

ご本尊 千手観世音菩薩

開基:慈覚大師  創立:大同2年(807年)

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駐車場右手に参道入り口があります。静かな自然林の中の参道を200m、

約10分間登ると山門が見えてきます。写真は下りですが、登る時はけっこう

しく写真を撮る余裕はありませんでした。

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山門(仁王門) 平成5年老朽化のため再建立

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金網越しですが、色白で愛嬌のある仁王様を見ることができました。

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四天門

二層よりなる華麗な四天門。文化14年(1817)の再建。

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四天門には風神と雷神、守護神像(下段の二像)が祀られています。

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本堂(観音堂)

文明13年(1481)と文化10年(1813)に焼失、文化14年(1817)に再建。

ご本尊の千手観世音菩薩が祀られていますが、拝観できるのは御前立ち様

だけです。

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唐破風の下の見事な彫刻

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本堂外陣内部の欄間に掲げられた大きな絵馬などは見ごたえがあります。

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百観音堂

左奥に閻魔様、中央に百体観音像、右に赤穂47士像が祀られています。

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百体観音像

西国・坂東・秩父札所100ヶ所のご本尊が祀られています。

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奥院堂

文化11年本堂の仮堂として建立。平成9年銅板葺に改修。

御前立ち様(右)は格子の隙間から拝むことが出来ました。厨子の中には木造

十一面観音像が祀られており、8月9日の御開帳には拝観できるそうです。

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芭蕉の句碑・・・読めません。

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休憩所には大きな茶釜が・・・縁日の接待に使われるそうです。

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ご朱印とご詠歌

濁るとも 千尋の底は 澄みにけり 清水寺に 結ぶ閼伽桶(あかおけ)

2013年6月 1日 (土)

坂東33観音札所12番・慈恩寺

関東地方が梅雨入りした5月29日、埼玉県さいたま市岩槻区の慈恩寺

にお参りしてきました。10時過ぎに家を出て、横浜から京浜

急行大宮行きに乗り、大宮で東武野田線に乗り替え、豊春駅に着い

のは12時42分。電車はすべて座れましたが、さいたま市がこれほど

いとは思いませんでした。家を出る時は曇りでしたが、大宮あたりから

雨が降り始め、豊春から慈恩寺までは雨の中を約30分歩きました。

所在地:埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺139

華林山 慈恩寺(慈恩寺観音)天台宗

ご本尊:千手観世音菩薩

納経代:300円

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慈恩寺は天長元年(824)に慈覚大師(794~864)によって開かれた

天台宗の古刹で、寺名は大師が入唐求法の折、遊学された中国長安

(現在の西安)にある大慈恩寺にちなんで寺名とされたそうです。

盛時には13万5千坪の境内と塔中66ヶ坊を有する大寺だったそうです。

現在の本堂は天保14年(1842)の建立で、ご本尊は天海大僧正が

寛永11年に納められたもので、夫婦の円満を祈る観音さまとして知られ

ているそうです(SDカードを入れ忘れたため、写真は慈恩寺さんのHPよりお借りしました)

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ご朱印帳とご詠歌

慈恩寺へ 詣る我が身も たのもしや うかぶ夏島を 見るにつけても

2012年12月19日 (水)

坂東33観音札所27番・円福寺

所在地:千葉県銚子市馬場町293

飯沼山 円福寺 飯沼観音 真言宗

ご本尊:十一面観世音菩薩

納経代:300円

寺伝によると728年の春、二人の漁夫が、十一面観音像を拾いあげ、

小堂を建てて安置し、その後二人の漁夫はこの観音様にお仕えする

僧となった。弘仁年間(810-824)に弘法大師が巡錫して開眼し、

この地の海上(うなかみ)長者と称する豪族が、観世音の慈悲と大師の

修法力に心を打たれ、財を惜しまずに提供し、壮麗な伽藍を建立して、

大師を開祖と仰いだと伝えられ、その後も海上氏一族の庇護によって

発展した。昭和20年の戦災で本堂が焼失したが、昭和46年再建され

、多くの寺宝がある。

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仁王門

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観音堂

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四国八十八観音が描かれた天井画

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坂東三十三観音と秩父三十四観音が描かれた天井画

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五重塔と大仏様

高さ33mの立派な五重塔は平成21年(2009)の再建。

大仏様は全長5メートルあるそうです。

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毘沙門堂

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鐘楼

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ご朱印とご詠歌

このほどは よろずのことを 飯沼に きくもならはぬ 波の音かな 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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銚子市内

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銚子電鉄・観音駅

メルヘンチックな建物です。時間があったので先達さんが案内して

さいました。駅構内で売っている銚子名物のたいやきとぬれせんべい

を目当てに、ツアー客39名のほとんどが列を作っていました。

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電車がホームに入ってきたので列から外れパチリ

最後列に並びなおしたので、商品が売り切れて買えないのではと思い

ましたが、たいやき1個とぬれせんべい2袋、無事ゲット出来ました 

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ご朱印帳が戻るまでバスの中で一休み。銚子名物のたいやきはふわっ

とした厚皮のたいやきでした。1個90円。けっこうお腹にたまりました。

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銚子の海

バスから見降ろすと、人家が海面すれすれのように見えます。

津波が起きたらと思うと恐ろしくなりました。

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最寄りの駅についたのは8時20分前。夫が駅まで迎えに来てくれ

ましたが、日帰りバスツアーもだんだんと疲れるようになりました。

2012年12月13日 (木)

坂東33観音札所28番・龍正院

所在地:千葉県成田市滑川1196

滑河山 龍正院 滑川観音 天台宗

ご本尊:十一面観世音菩薩

納経代:300円

承和5年(838)慈覚大師によって開創された。ある年に天候不順で

農作物が不作のため、城主の小田将治は天荒の回復と病人の平癒を

本尊十一面観世音に祈願し、やがて成就した。この時得た観音像は

本尊の胎内に納められているという。

延命開運の観音さんとして庶民信仰の篤いお寺でだそうです。

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仁王門

文亀年間(1501年 - 1504年)に再建されたもの(国の重要文化財)。

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享保年間(1501-1503)に門前一帯が大火に見まわれた時、ここの

仁王尊があらわれて寺域を守護したため、付近は大火から免れたと伝

られ、それ以来大火にあわなかった部落の人々が1月8日になると藁

を持ちより門前でしめ縄を作って奉納いているという。

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本堂

入母屋造で元禄9年(1696)江戸幕府5代将軍徳川綱吉の寄進に

より再建されたもの(県指定有形文化財)。

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(左の写真) 中央に龍(色が剥げ落ちています)

(右の写真) 龍の左右に天女の天井画が描かれています。

狩野派作といわれている。

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欄間に彫られた彫刻も素晴らしい。

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色褪せた朱塗りのお堂。歴史の重みが感じられます。

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何ともほほえましい、ぼけ封じ道租神。

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弁財天堂

慌ただしかった浅草寺とはうって変わり、心安らかにお参り出来ました。

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ご朱印とご詠歌

音にきく 滑河寺の 朝日ヶ渕 あみ衣にて すくふなりけり

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お昼は佐原市開花亭で・・・

美味しゅうございました。

2012年12月10日 (月)

坂東33観音札所13番・浅草寺

12月8日(土)坂東33観音霊場ツアーに参加。今回は東京の浅草寺、

千葉県の龍正院、円福寺の3寺をお参りしました。

相模大野7:10集合・7:20出発=国道16号線=東名高速=首都高速=

浅草寺9:20~10:20=京葉道路=南関東自動車道=龍正院11:40

~12:17=一般道(利根川沿いの道)=開花亭・昼食12:50~1:40=

一般道(利根川沿いの道)=円福寺2:42~3:55=相模大野着8:10

浅草寺までの道路はずっと渋滞し、2時間もかかってしまいました。

首都高速の青山トンネルを抜ける時は短い距離にも関わらず、先日

中央高速笹子トンネルの天井板崩落事故を思い出し、思わず天井

を見上げてしまいました。素人目にも老朽化が進んでいるように見え、

少し不になりました。

ご朱印は6年前に頂いていたので省略しましたが、隣の席に座った方

から、重ね印と言って2回以上遍路を繰り返す場合はご朱印と日付だけ

入れるという方法があることを帰りのバスで聞きました。せっかく行った

のだから今回もご朱印を押して頂けば良かったと思いました。

東京都浅草2-3-1

金龍山 浅草寺 聖観音宗

ご本尊 聖観世音菩薩

推古天皇36年(628年)、浅草浦で三人の漁師の綱に一体の観音像

がかかり、漁師の戸長である土師の真中知が自宅に観音像を安置し

て寺にしたのが浅草寺の草創で、都内最古の寺だそうです。

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二天門

バスを降りる場所の関係上、こちらから参拝しました。諸堂の殆どが

鉄筋コンクリート造りによって再建された歴史の浅いものが多いなか、

唯一戦災を逃れた古い建造物だそうです。(重文指定)

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宝蔵門(旧仁王門)

現在の門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造で、

実業家・大谷米太郎(ホテルニューオータニの創業者)夫妻の寄進に

よって建てられました。門の上層は文化財の収蔵庫となっています。

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本堂(観音堂)

旧堂は慶安2(1649)年の再建で、近世の大型寺院本堂の代表作とし

て国宝に指定されていたが、昭和20(1945)年の東京大空襲で焼失。

昭和33年に鉄筋コンクリート造で再建されたそうです。

内陣の前立ち本尊前にて参拝。ご本尊の聖観世音菩薩は秘仏となって

いるため公開されないそうです。

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天井中央に描かれている川端龍子筆の「龍の図」

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「龍の図」の左右には堂本印象筆の「天人の図」が

一番外側にの左右に「花の図」が描かれていました。

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影向堂(えいごうどう)

堂内須弥壇には、中央に聖観世音菩薩を安置し、その左右に十二支

の守り本尊8体が祀られていました(撮影禁止)

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浅草寺は3年に一度位参拝していますが、前回は本堂が改修中

だったため、外陣からの参拝になりました。時間が限られていたので

駆け足参拝になりましたが、個人参拝では見のがしてしまうようなと

ころも、何ヶ所か見ることが出来有意義でした。

2012年12月 3日 (月)

坂東33観音札所26番・清滝寺

茨城県土浦市小野1151

南明山 清滝寺 真言宗豊山派 清滝観音

ご本尊:聖観世音菩薩

納経代 300円

大御堂3:00=一般道=清滝寺3:30~4:37=一般道=常磐自動車道

土浦北IC5:00=トイレ休憩守屋SA&大黒PA=横浜着8:05

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境内の由緒書きによると、清滝寺は推古天皇15年(607年)に竜ケ峰に

創建され、大同年間(806~810年)に徳一法師によって古観音に移され

たという真言宗の寺。七堂伽藍を備えた大きな寺であったが、天正年間

(1573~1592年)に佐竹氏の兵火により焼失し、江戸時代に現在地

再建されたと伝えられるが、昭和44年の不審火により山門を除いて全

の罹災にあい、現在の本堂は昭和52年に再建されたそうです。

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山門

天保年間(1830~43年)に再建された。昔の面影を残しています。

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本堂

昭和52年、信徒の浄財で再建。60年間無住の寺で地元の老人会

有志の方々がご朱印帳に記帳して下さいました。

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鐘楼

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ご朱印とご詠歌

わがこころ 今より後は にごらじな 清滝寺へ まいる身なれば

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参拝を終えたのは4時過ぎ。境内はそれほど見るところもないので、

ご朱印帳が出来上がるまでバスの中で待ちました。

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明治維新は良い面もありましたが、王政復古によって、神祇官という

官職が復活し、神道の国教化を推し進めるために神仏分離令を出し

て廃仏毀釈を主導し、多くの寺院が破壊され、日本の伝統文化が

数多く失われたという悪い面もあったということを、坂東33観音巡礼

で(特に茨城県のお寺を見て)知りました。

先日久米美術館を訪れた時に頂いたパンフレットには久米邦武が

明治24年に「神道は祭典の古俗」を発表し、神道家から攻撃を受け

帝国大学教授を依願免官となったことを知りました。

「神道は祭典の古俗」とは「神道は天(自然)を祭る古い習俗である」

という意味のようでした。このことは神道は宗教ではないということを

表しているので、神道が国教であるという政策には都合が悪かったの

でしょう。江戸時代には寺院がさまざまな特権を持っており、中には

悪い僧侶もいたのでしょうが、廃仏毀釈は行き過ぎだと思いました。

16日は衆議院選挙が行われます。明治時代は若い武士が歴史を動

かしましたが、今は一票で民衆が歴史を動かせるかもしれません。

バランスの良い政策と、国民のことをよく考えてくれる政党に一票を

投じたいと思います。

2012年11月29日 (木)

坂東33観音札所25番・筑波山大御堂

楽法寺1:04=一般道=ホテル青木屋・昼食1:45~大御堂2:35~3:00

車窓から筑波山を眺めながら一般道を走ること22、4キロ。車は

筑波山中腹にある筑波山神社すぐ下のホテル青木屋に着きました。

ホテルで昼食後、筑波山神社を見学、大御堂を参拝しました。

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茨城県つくば市筑波748-2

筑波山 大御堂 真言宗豊山派 

ご本尊 千手観世音菩薩

納経代 300円

延暦元年(782)徳一上人が開創し、弘法大師が十一面観音像を

んで安置して本尊とし、知足院中禅寺と号した。江戸時代には

徳川家の厚い庇護を受け、特に三代家光公は本堂を始め三重塔、

鐘楼、楼門等を建立。寺領1500石の寺格を有する大寺となり、

隆盛を極めた。現在は東京都文京区にある真言宗豊山派大本山、

護国寺の別院となっているそうです。

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本堂

明治初期の廃仏毀釈の影響を受け、七堂伽藍は破壊され廃寺と

り、仁王門は筑波山神社の随神門になったそうです。その後昭和

5年に仮堂のみ再建されたが、昭和13年の山津波で倒壊。

現在の建物は、昭和36年に民家を移したものだそうです。

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鐘楼

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三笠宮両殿下御手植のヒマラヤ杉

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境内の仏像

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ご朱印とご詠歌

大御堂 かねは筑波の 峯にたて かた夕暮れに くにぞこひしき

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

筑波山神社

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筑波山神社随神門

かつては大御堂の山門だったそうです。

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左・倭建命(やまとたけるのみこと) 右・豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)

仁王さまを見慣れているので、少し違和感を覚えました。

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筑波山神社本殿

始まりは大御堂と一緒。延暦元年(782)に法相宗の僧・徳一により

筑波山知足院中禅寺が開かれたことから神仏習合がなされ、

筑波山は修験道の道場ともなった。明治維新後の神仏分離により

中禅寺は廃止され、明治8年寺の跡地に現・拝殿が造営された。

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黄金色の銀杏が綺麗でした。中央は神橋。通常は渡橋が禁止され

ていますが、春秋の御座替祭・年越祭時のみ許されているそうです。

2012年11月28日 (水)

坂東33観音札所24番・楽法寺

楽法寺は標高408mの雨引山の中腹にあります。花のお寺として

有名で、4月上旬は約3000本の桜で山腹一帯がピンク色に染まり

「関東の吉野」と称されているそうです。

観世音寺出発11:17=一般道=楽法寺12:00~1:04(23.8km)

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見事な紅葉。

ツアーの人に遅れないよう、歩きながら写真を撮りましたが、写真を

撮ることに夢中で、レンズのキャップを落としてしまいました

茨城県桜川市元木市1

雨引山 楽法寺 真言宗豊山派 雨引観音

ご本尊 延命観世音菩薩

納経代 300円

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楽法寺縁起↑

587年: (用明天皇2年)中国(梁)出身の法輪独守居士により創建。

730年: (天平年中)聖武天皇並びに光明皇后の御願によって安産を祈願し

       勅願寺となる。

821年: (弘仁12年)大旱魃(だいかんばつ)の際、嵯峨天皇からの勅命に

       より降雨祈願をし、その効験によって雨引山の山號を賜わる。

1604年:(慶長9年)江戸幕府の祈願寺として150石の封を得、十万石の格式

       に叙せられ、末寺43ヵ寺を統して幕末に及ぶ。 

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仁王門(山門)   宝永年間 (1704~11年)の建築

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仁王門・龍図

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仁王門・彫刻と天女図
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境内側から見た仁王門

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本堂(観音堂)   宝永7年(1710)の再建

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平成10年秋に屋根瓦の葺き替え、塗り替えをしたそうです

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多宝塔   1853年(嘉永6年 )の建築

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写真は左上より、御供所、奥の院(客殿)、本坊。

右上より、多宝塔から続く渡り廊下、東照宮。他にも鐘楼堂等、いくつ

かの御堂があったようですが、時間が無くて周りきれませんでした。

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放し飼いにされている鴨やアヒルたち。上の鶏は名古屋コーチンの

ようですね。心なごむ風景です。

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宿借りの椎の大樹(推定樹齢1000年)

文明年間(1469~86)の大火で本堂炎上の際、本尊自らこの椎の

下に難を避け一時の宿にしたと伝えられているそうです。

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ご朱印とご詠歌 

へだてなき 誓いをたれも 仰ぐべし 仏の道に 雨引の寺

2012年11月24日 (土)

坂東33観音札所23番・観世音寺

11月22日坂東33観音霊場ツアーに参加しました。今回は茨城県

観世音寺、楽法寺、大御堂、清瀧寺の4寺をお参りしました。横浜駅

7時半の集合ですが、毎日家でぬくぬくと暮らしているので、朝の寒さ

が身に染みました。今からこんなことでは真冬が思いやられます。

横浜西口7:30集合・7:40出発=高速道路=常磐自動車道守谷SAトイレ休憩

友部JCT9:57=一般道=観世音寺10:10~11:17

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観世音寺のある笠間市はお稲荷さんの町として有名で笠間稲荷には

年間百万もの参詣者があるそうです。菊の花も有名で10月から11月

かけて、菊祭りが行われ市内各所は1万鉢の菊で埋め尽くされる

そうです。バスをとめた佐白山麓公園駐車場にも沢山の菊が展示され

ていました。

茨城県笠間市笠間1056-1

佐白山 観世音寺 普門宗 佐白観音

ご本尊 千手観世音菩薩

納経代 300円

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本堂

白雉2年(651)、狩人の粒浦氏により創建の古刹です。明治初年の

神仏分離に伴う廃仏毀釈により姿を消しましたが、昭和5年に仮本堂

が建てられ、昭和59年に観世音寺と寺号を改めたそうです。

御朱印帳が書き上がるまで、御住職の説法や、温かいお茶接待が

あり、心安らぐ時間を過ごすことが出来ました。

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本堂内部

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御本尊の千手観音像は鎌倉時代初期の寄木造りで県の文化財に

指定されています。4月17日の御開帳の時のみの拝観ですが、

住職のご厚意により拝観させていただくことができました。写真は

お寺で頂いたパンフレットから写しました。

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延命地蔵尊

東日本大震災時に振動で左に45度向きを変え、お顔が階段の方を

向いたため、お迎え地蔵とも呼ばれているそうです。

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ご朱印とご詠歌

夢の世に 眠りも覚むる 佐白山 妙なる法や ひびく松風

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